仕事に熱がこもらないと、いつもあとから理由を探した。
20代半ばを過ぎた頃、任せてもらった仕事で上司に確認をあおぐ機会が増えた。 指摘されるのは、知識や経験に差があるからだと思っていた。その差はすぐには埋まらない。だから、レビューを受けて直すことに疑問はなかった。
ある日、「これで上手くいかせることに腹括れてる? 尚平からは熱量を感じられないんだけど」と言われた。
上手くいくかどうかを判断してもらうために、いまレビューを受けているのだ。自分が「これでいく」と決めるなんて発想はなかった。手を抜いたつもりもない。そう見えるなら、それは仕事内容のせいだとさえ思った。
翌年、6名のチームを任せてもらった。前年のじぶんの反省を活かしたかった。メンバーには仕事の背景を伝え、なぜ達成したいか話した。「これでいく」と決めた施策があがると期待した。2日後、ピントの合わない提案をメンバーから預かった。
相手の意欲が足りないのか。自分の伝え方が悪いのか悩んだ。依頼してから数時間おきに、短い相談時間を設けてみたりした。大きな変化はなかった。あるとき、メンバーに言われた。
「え、成果が出る施策なのかは、尚平さんが判断すると思ってました」
明らかな悪手なら止める。それでも、彼女自身が「これで成果を出す」と決めたなら任せたい。外れたら、また考えればいい。そのとき気がついた。任せたつもりでいた。でも、彼女が自分で判断できるものさしを、渡していなかった。
彼女には、私がなにを基準に良し悪しを決めるか分からなかった。ならば、じぶんの案に腹をくくるより、私に判断をゆだねるのが自然だった。手を抜いたわけではない。ただ、分からなかった。仕事の背景や意義を伝えることと、案の良し悪しを自分で判断できるようにすることは別だった。
仕事を任されたときは、何を聞く必要があるか分からなかった。仕事を任せたときは、何を共有する必要があるか分からなかった。いつも、あとから理由を探していた。原因は、仕事がはじまる前にあった。
「これでいく」と言える仕事には、はじめにものさしがある。